GOLDEN HEART

 彼は私がVRChat初心者だったころ、チュートリアルワールドで出会って案内をしてくれたフレンドだった。彼は私に積極的にジョインしてくれたし、私が彼と話していると彼のフレンドが次々とジョインしてきた。私は彼を介して多くの仲間と出会った。

 彼はパソコンに精通しており、フレンドがトラブルに躓いていると素早く的確なアドバイスをしていた。Twitterでは誰にでも気さくなリプライを送ったし、フレンドを喜ばせるためにものづくりをすることを欠かさなかった。そんなところが、ひとびとから愛される要因だったのだと思う。

 彼は働いていなかった。心臓の病気で、いつ死ぬか分からないのだという。めったに部屋から出られず、インターネットだけが自分の世界なのだと、ある二人きりの夜に話してくれた。私は涙し、彼が心を開いてくれたことに応えたくて、自分の秘密も打ち明けた。自分にも持病があり、治療のために貯金をしていること。トラウマを共有した私たちは、それからさらに、親しくなった。

 あるとき、彼が数日VRChatにもSNSにもログインしないという事件が起きた。そう、事件。彼は昼夜を問わずVRChatのどこかにいたし、連絡にはすぐ返信を返したから、仲間内でちょっとした噂になった。その中にはよくないものもあったが、私は彼を信じて、その帰りを待つことにした。

 数日後、彼からメールが来た。それによると、心臓の病気を治してくれる医者が見つかって、その治療費が必要なのだという。金額は、私の貯金額と同じ数百万。そのお金があれば、自分は病を克服し普通のひとの暮らしができる。同じ苦しみを持つ君しか頼れない、必ず返すからどうかお金を貸してほしい、と彼は真剣な文面で頼んだ。

 私は迷った。しかし最後には決断した。他人を重んじるのが人間のあるべき姿だと、相手が苦しんでいるとき助けるのが友達だと思ったからだ。

 私が了承の返事を送ると、彼はすぐに送金の手順を指定するメールを返した。私はそれに従い彼に現金を送った。レターパックをポストに投函し、その赤い箱の前で手を合わせて祈った。どうか彼を蝕む病が治りますように、と。

 その後、彼は消息を絶った。VRChatも、Twitterも、あらゆるSNSのアカウントが消え、私の送ったメールにも返信はなかった。

 手術は成功したのか。しなかったのか。貸したお金はいつ返してもらえるのか。けれどもそれらの何一つとして知らせることなく、彼は忽然と、私の前から姿を消してしまった。

 何もかも判然としない闇の中。私の瞳は真実をとらえず、不安と焦燥ばかりが募った。裏切られたのだ、とだけは思いたくなかった。その可能性にわずかでも目を向けると、みじめで、恥ずかしくて、最低な気分がこみ上げてきてしまう。

 のたうちまわる私の耳にふと、以前彼の口にした言葉がよみがえる。

「自分の心を守るために他人を疑うということは、もっとも卑しい行為だよ。一生他人の良心を疑いながら生きるよりは、信じて裏切られたほうがましじゃないか?」

そして彼と最後に交わした文章も、頭の中で、彼の声で再生された。

「きっと手術は成功する。たとえ失敗に終わろうとも、君が俺を信じてくれたその心の輝きはこの世で最も尊い、永遠のものなんだよ」

そうか。そういうことだったんだ。この世に本当のことなど何一つない。すべては私の心が映す虚像。彼の像が私の中で美しいものならば、私はそれを、信じればいい。

 きっと手術は成功したのだ。彼は今リハビリの真っただ中で、インターネットにも触れさせてもらえないのだろう。彼がSNSを見ていなくてよかった。タイムラインには彼から金銭を騙し取られたという被害報告がいくつも上がっていた。彼がこれを見たらひどく心を痛めたに違いない。

 彼はきっと帰ってくる。義理堅い彼は約束通りお金を返してくれて、それで私は自分の脚を治して、いつか並んで青空の下を歩く。

 その日をいつまでも、いつまでも待ち続けよう。

Vision

麻島葵主宰「にんぎょのくるぶし」による小説 本サイトの小説は条件付きで朗読可能です。 ○Skebでのボイスデータ依頼 ○配信、朗読会など金銭のやりとりの発生しない場での朗読 ×朗読したデータを販売する行為 ×有料配信、有料公演

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