TRI
彼は私のVRChatでできたはじめての友人で、彼にお砂糖相手ができたとき、それはそれは、自分のことのように喜んだものだ。
彼のタイムラインはお砂糖相手とのツーショットで埋まった。お揃いのアバターを改変して着て、その指には同じデザインの指輪が輝いている。誰が見ても幸福なカップル。私は彼らのそんな姿を、好ましく思っていた。
お砂糖相手は彼を介して会ったフレンドで、はじめは彼の後ろに隠れて私たちの会話を聞いていた。しかし次第に緊張が解けたのか、私にも飾り気のない笑顔を見せてくれるようになった。
3人でワールド巡りすることも増えた。彼のお砂糖相手はどんなギミックや景色にも無邪気に感動し、素直な言葉でそれらを褒めた。その様子は私の目から見てもかわいらしく、私は友人が彼に惹かれるのも無理はないと思った。
だからと言って私がお砂糖相手とどうこうというのは考えたことがなかった。お砂糖相手は私の大切な友人の一人で、恋愛感情の対象ではなかった。フレンドたちがひしめくインスタンスで、友人とお砂糖相手が無言で見つめあっているのを見た。3人しかいないインスタンスで、彼らが互いを撫であっているのを見た。私はそんなとき早めに彼らにおやすみを言ってその場を去った。そのあと、彼らがキスを交わしているのを知っていたからだ。
彼らがいて、私がいる日常。どちらかのいちばんになることはないにしても、彼らが幸せならそれでよかった。VRの中だからこその絆。私はそれを大切にしていた。大切にしていた、つもりだった。
友人はUnityやBlenderに詳しいわけではなかった。改変をすると言っても色を変えたり小物をつけたりする程度で、Unityでのアニメーションの作成やBlenderを通しての着せ替えに関しては自分にはそれらをする根気も技術もないとあきらめていた。
しかし、彼のお砂糖相手は違った。友人より遅くVRChatをはじめたが、アバター改変への意欲は強かった。彼は自分の好きなゲームのキャラクターを再現したアバターを作りたがり、私が多少はそれらのソフトに精通していると知ると、そのやり方を教えてくれないかと頼んできた。
私はお砂糖相手の頼みを快く聞き入れた。私たちはDiscordをつなぎ、画面共有をしながらアバター改変を進めた。はじめはソフトの使い方を覚えるところからだったが、お砂糖相手の飲み込みは早かった。次までにこの作業をしてきて、と宿題を出すと、私の予想を超える出来のそれを提出してきた。彼の再現しようとしたキャラクターデザインは複雑だったが、彼ならできるかもしれない、と私は期待しはじめていた。
単純作業の中、あるいは休憩時間、私たちはなんでもない話をするようになった。はじめはこのゲームの話。キャラクターのどんなところに惹かれたか。次に私の好きなもの。私はVRCをやっていて知っている人に会ったことのない作品の名前を上げた。彼はそれを知っていた。私は久しぶりに見つけた同志の存在に、興奮して作業そっちのけで作品の魅力を語った。彼はうんうん、と楽しそうに聞いてくれた。気がつけば日付が変わっており、その日の通話はお開きになった。
「また話そうね」
という彼の声が優しくて、不思議と心の近くで発せられたものの気がして、私は少し、気恥ずかしくなった。
早起きな友人がVRChatを落ちたあとの時間は、私と彼のお砂糖相手が改変作業をする時間になった。アバター改変は順調に進んだ。既存の衣装を大幅に作り替えてデザインを再現し、丁寧にウェイトペイントを施した。Questへの付加も考えてメッシュを削減してマテリアルも統合した。美しいモデルが完成したその夜、私たちはお祝いに少しだけお酒を飲んだ。
Blenderでの作業が終了すると、Unityでの作業に移った。キャラが剣を振るとその軌道に追従するパーティクル。そのキャラらしい表情と納刀用アニメーション。Unityの気まぐれさに私たちは振り回されながら、それらの効果の一つ一つをアバターに仕込んでいった。アバターに次第に生命が吹き込まれていく手ごたえを感じた。
私たちが作業の合間にする雑談の内容は、お互いのことに移った。普段VRChat以外の時間では何をしているか。仕事や学校の話。子供のころのちょっとした思い出。私は彼のことを多く知るようになった。彼も私のことを、多く、知るようになった。
休憩を終えて作業を再開するのが惜しくなった。就寝時刻が迫り通話を終了するときにさみしさを覚えるようになった。
でも、これは友達だから。こんな話をするのは友愛の証で、特別な感情によるものではないと。
言い聞かせていた。彼もそのつもりだと、信じていた。
1か月後。改変アバターが完成した。二人きりのワールドで、彼は幼い日憧れた騎士の姿に変身し、英雄の名前を冠する美しい剣を振るった。彼は歓声を上げ、私もHMDの下で笑った。彼と私の奮闘の成果がそこにあった。いや、私は何もしてない。まったく知識のなかった彼がここまで頑張って、理想の姿を手に入れたのだ。私は彼を褒めたたえ、テストを終えてDiscordでの通話に戻ると、その努力をねぎらった。
「本当にありがとう。君がいなかったらできなかった」
感極まった声で彼はそう言った。こんなに他人に喜んでもらえるのは久しぶりのことで、こんなことでいいのなら、いくらでもしてあげたい、と思った。
「毎日毎日ごめんね。これからは教えてもらったことを生かして、別の改変にも挑戦してみるよ。今まで、本当にありがとう」
そのさみしそうな言い方に、私は笑ってしまった。そうして、優しい声で言う。
「これが最後みたいな言い方しないで。これからもいつでも話しかけて。今回結構疲れちゃったと思うから、次の改変までは気楽にアニメ見たりゲームしたりしよう。私は夜はたいてい空いているしね」
ありがとう、と彼がはにかんで言った。
「じゃあ、また話しかけるね。この時間はお砂糖相手がいなくてさみしくて……」
今度の私の笑いは、複雑なものだった。けれどもそれに見出しかけた意味に気づかないふりをして、答えた。
「ああ、いいよ。いつでもメールしてね。また明日」
おやすみなさい、と言う彼の声は、友人に向けられていたものと似た甘い響きを含んでいた。
そのイベントは、週に一度さまざまな界隈にいるひとびとが集まって雑談をする場だった。そのインスタンスの一つに、私と友人とそのお砂糖相手がいた。
「ねぇ、君にはまだ見せてなかったよね。彼に協力してもらって作ったキャラのアバター。Quest対応もしたからここで見せられるよ!」
お砂糖相手はそう言い、メニューを開いて画面をスクロールする手の動きをした。
アバタがロードされる。目の前に現れたのは、RPGの主人公。その姿を認めた人々が、彼の周りに集まった。
「すごい! 再現度高い!」
「昔好きだったよ。アニメーションきれいだね」
「斬撃かっこいい! Questからも見える!」
人々は口々に彼のアバターを褒め、彼はかっこいい騎士の姿で照れ臭そうに頭をかいた。そして私を示した。
「彼が教えてくれたんです。彼が教えてくれなかったら絶対できませんでした」
その場にいた人々の注目が私に移る。私は目立つのは苦手だ。けれどもひとびとは、私のことも褒めてくれる。私は何か言うのが礼儀だと思い、会話の切れ目に口を開いた。
「彼が頑張ったからです。私は教えただけで、何もしてないですよ」
気の置けないフレンドたちは、またまた、改変つよつよマンだ、と軽口を叩いた。本当は嬉しかった。飛び上がりたいほどの興奮を覚えていた。自分が褒められるよりも、彼が褒められるほうが、ずっとずっと嬉しかった。通話をしながらソフトと対話し、地道な作業をし、アバターに生命を吹き込んだ日々。その時間は本当に、本当に楽しかった。
ふと私が感傷に浸っていると。人々の輪から外れて、私を見ている存在に気づいた。
友人だ。彼はお砂糖相手を褒めることもせずに、少し離れたところで、私の方を向いていた。
私は近づいて、彼に話しかけた。
「君のお砂糖相手はすごいね。勉強熱心で努力家だ。君が寝たあととはいえ長い時間拘束してしまってごめん。あとでゆっくり、アバターを見せてもらうといいよ」
彼はデフォルトの表情で、ああ、と頷いただけだった。私はかすかな不安を覚えながら、それでもまだ、興奮の渦の中にいた。
不安は的中した。数日後彼は私をプライベートワールドに呼び出すと、硬質な声でこう言った。
「お砂糖相手に近づくな」
私は当然、理由を聞いた。明らかだったけれど、彼の口から聞きたかった。
「毎日夜遅くまで通話していたと聞いている。彼は私と会っても君の話ばかりだ。ひとのお砂糖相手に馴れ馴れしすぎるんじゃないか? 距離感を考えてほしい」
彼の言うことはもっともだった。改変を教えるためとはいえ、親しくしすぎたかもしれない。私は素直に自分の非を認め、彼に謝った。
彼は鼻を鳴らした。そんな無礼な態度を取る彼を見たのははじめてのことだった。
「もう3人で遊ばないとは言わない。でも、2人きりで何かをするのはやめてほしい。私が彼のお砂糖相手だ。私が彼にとって、いちばん、近くにいるべき存在なんだ」
「その通りだ。今まで本当にごめん。君の言うとおりにするよ」
彼は念を押すように頷くと、そのままインスタンスを去った。すぐに居場所がプライベートワールドに切り替わる。きっとお砂糖相手のもとに行ったたのだろう。私はもう、同じ間違いはしないと誓った。彼と私の努力が詰まった大切なアバター。それにこれ以上、疵をつけたくなかったからだ。
胸に疼く痛み。これはきっと、友人への申し訳なさと、己の至らなさを省みる気持ちに違いない。
そうに、違いなかった。
二週間が過ぎた。友人は複数人では遊ぼう、と話したが、私はVRCの中では彼らに会わなかった。いつ彼の様子を見てもプライベートワールドにいて、それはお砂糖相手も同じだった。きっと今までの空白を埋めるように、二人で会っているのだろう。
Discordにはお砂糖相手からのメールが届いていた。私は適当に返信をして、誘いは遠回しに断った。お砂糖相手からのメールは次第に短くなり、元気がなくなっているように見えた。けれども私にはどうすることもできなかった。距離が離れるならそれがいい。いちばんいい。それが私と友人との約束だったからだ。また3人で、無邪気に笑いあえるようになるために。
気晴らしが必要だった。何か楽しいことに没頭したかった。しかし改変には手がつかなかった。アイデアがなかったし、作業をしているとどうしても彼との楽しかった日々を思い出してしまう。
私はVRChatに行くことにした。ちょうどその夜は、週に一度のイベントの日だった。みなで雑談をするコロニー。そこで私は、いつも通りそこにいた人々に温かく迎え入れられた。
今日のイベントは盛り上がった。フレンドの軽妙なやり取りは、初対面のひとびとをも巻き込んでインスタンス全体にムーブメントを起こした。深夜の集合写真を撮って解散するころにはみなが打ち解けていた。
残った人々で雑談をしていると、一人がHMDを買いたての初心者ということもあり、見ごたえのあるワールドを回ろうという話になった。
私は幻想的な庭園のワールドに行くことを提案した。容量は100MB以上あるが、全員がインターネット回線速度に不安はないということなので、インスタンスを立てポータルをドロップした。フレンドたちがポータルに飛び込んでいく。私もそのサムネイルに向け、歩を進めた。
ワールドの読み込みを待つ。実は私の家の回線はあまり速くはない。みなを待たせてしまうだろうと思いながら、ダウンロードバーが満たされるのを見守っていた。
しかし、突如として画面は0.0MBのワールドを読み込むものに切り替わった。
ダウンロードが中断されたのだ。私は自分のホームワールドに立っていた。目の前には私のアバターの姿を映し出す三面図が立っている。私は急いで、メニューを開いて先に行ったフレンドにジョインしようとした。
そのとき、ディスコードの通知音が鳴った。
友人のお砂糖相手からだ。私はHMDの中デスクトップ画面を呼び出しそのメッセージを表示する。
「今から会いに行ってもいい? 二人きりで話したい」
「できない。フレンドとワールド巡りをしているんだ」
「少しでいい。今しかない。ずっと話したかった」
短い文の連なりは、しかし彼の悲しみと焦燥を表していた。私は逡巡した。
「会えない」
「どうして」
「申し訳ないけれど、別の日にしてほしい。必ず機会は作るから」
「だめ。お願い。僕のことを友達と思っているなら会って」
友達なら。そんなのは当たり前のことだった。当たり前のことをわざわざ言うのはおかしいことで、でも私は友達の、頼みを断れなかった。
「分かった。ここで待ってる」
Req Inviteはすぐに飛んできた。私はそれを承認した。目の前に、かわいらしいお砂糖相手の姿が表示される。
「久しぶり」
彼がぎこちなく笑ったのが、その声が震えていたので分かった。私も同じ言葉を返した。私たちはしばらく、無言のままでいた。
「なにか、用件があった?」
うまく切り出せず、私は単刀直入に聞いた。彼はこくりと頷いた。
「ううん、なんにも。ただ最近、どうしているのかと思って」
「悪いけど、フレンドを待たせてるんだ。雑談ならまたDiscordでしよう」
彼はジト目になり、私を見上げた。
「そう言って、逃げてばかりいるくせに。どうして? これからもたくさん話そうって言ったじゃん」
「ごめんね。最近忙しいんだ」
「VRChatにはいるじゃない」
「その時間は君はプラべだし、私はそのあと寝てしまうんだ。約束を果たせなくてごめん」
ふーん、と言って彼は体を揺らした。納得がいかないといった様子を隠そうともしない。
「じゃあ、忙しくなくなったら、また遊ぼうね」
そうして、不自然に明るい声を出した。
「最近珍しくお砂糖相手がデートに誘ってくるんだけどさ、もともとVRChatにそんなにログインしない人だし、飽きたらまたいっしょに遊べるようになるよ」
「そんな言い方をしたら、彼に悪いだろう」
今度は表情を変えることなく、彼が私を見つめた。私は腕時計を見る仕草をした。
「そろそろ行くよ。最近遊べていないのは本当にごめん。私も君と会いたかった」
それは本心だった。これくらいのことなら、言ってもいいだろう。友達として、不自然ではないだろう。そう思い、口にした。
「やっぱり無理」
ぽつりと、彼が言った。
彼のアバターが近づく。ワンピースの裾がふわりと揺れる。私は身を引こうとした。しかしこのワールドは狭い。これ以上下がったら落下してしまう。目の前に、彼の顔があった。
「友達のままではいられない」
「それは、どういう」
「分からないふりをしないで。君は僕よりずっと、賢いでしょう」
分かりたくなかった。分かりたくなかったけれど、今ここで間違えては、すべてを失うことになる。僕は心を決め、首を振った。
「分からない。私はひとを好きになったことがないからね」
彼は押し黙った。彼が両手で目の前にあるものを持ち上げ、頬を拭う仕草をした。
「僕のことも?」
その声は濡れていた。
「ああ。私は君のことは、友達だと思っている」
すすり泣きが聞こえた。私は泣きだした友の前で、馬鹿みたいに突っ立っていることしかできなかった。私にはその涙を掬いあげることも、彼を抱きしめることもできない。私は彼のお砂糖相手ではないのだから。
「それでもいいよ」
と彼は言った。涙を振り切り、はっきりとした声で。
「僕は、君のことが」
「だめだ」
とっさに、私は彼の口を手で覆った。実際には意味のない行為。現実の私の手は、彼の口には届かない。けれども彼は、私の剣幕に気圧されたように押し黙った。
「私は君に、二度と会えなくなりたくないんだ。だから、好きだなんて、言わないでくれ」
言ってから、これではまるで告白だ、と思った。
「助けてよう」
彼が私の胸に縋ってくる。触れられている部分を、温かいと感じた。
「今いちばん一緒にいて楽しいのは君なの。君のことを考えない日はないの。会えないと胸が苦しくてどうしたらいいか分からなくなる。こんなのははじめて。流れで付き合ったときとは違う。君のことは、みんなと遊んでいる中で見ていて、素敵な人だなって思ったんだ。二度と会えなくなるなんてさみしいよ」
そうして彼は、私の胸に頬を寄せて言った。
「好きなんです」
こたえることはできなかった。手の持って行き場もなかった。ただ一言、濁った響きが唇から漏れた。
「ずるいよ」
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