美しきもの

 世界が燃えている。

 一面の瓦礫はかつてここにあった文明が無残に破壊されたことを示している。そこかしこから火の手が上がり、黒い煙が赤銅色の空に向かい上っていく。ごうごうと、地鳴りのような風の音が響く。それはきっと毒を孕んだ熱風だろう。もしもリアルでこの場に居たら、僕はそれを吸って死んでいたかもしれない。

 けれどもそうはならなかった。ここはVRの中で、僕は赫赫たる光景の中に居ながら、肌を焦がす熱も吐き気を催す悪臭も感じていない。

 だから僕は、ここで世界の終わりを見届ける最後の人間のように、突っ立ったままこの景色に目を奪われている。

「どう思う?」

隣に立っている男がしずかに聞いた。美少女アバターを使う男性が多いVRChatの中で、彼はカジュアルな服装の男のアバターを使い続けた。彼は僕のフレンドで、このワールドを作った人間でもある。

「そうですね……表現が難しいです……」

そう言って見つめた手のひらを、上空から降りてきた細かな灰が貫通する。常に燃え続ける炎のアニメーションと降りしきる灰のパーティクルの影響で、このワールドの動作は重かった。

「でも、いやな感じはしません」

迷った挙句、僕は素直な感想を述べることにした。述べることにしたけれど、できるだけ正確かつ穏やかに意味が伝わるように、言葉を選ぶ。

「炎ってきれいですよね。生命が蓄えていたものが一瞬の輝きを放って消えること、積み上げたものが一気に崩れ落ちること……悲しいけれど、ほかの現象には代えがたい美しさがあると思います」

「ありがとう」

彼は柔らかい声で言い、目の前の光景に向き直った。その頬はめらめらと燃える炎の光を照り返してオレンジ色に輝いている。

「自分の話で申し訳ないけれど、もともとは普通のワールドだったんだ。周りのワールドクリエイターに影響されて、写真映えしそうな美しい街を作った」

「以前上げられてたワールドのことですか? ここは……その残骸なんですか」

「そうだ」

僕は再び瓦礫の街に目をやった。確かに黒く焦げ付いた壁や屋根のテクスチャには、以前彼が作ったワールドの面影があった。それは見とれるような異国の街並みだったことを僕は思い出す。フレンドが和気あいあいと語り合うのにちょうどいい広場があり、青々とした木々と涼やかな川が配置されていた。彼の普段の人柄を表したかのような、明るいワールドだった。

「はじめて作ったワールドだと聞いたときは驚きました。クオリティが高くて、SNSでも評判になって……どうして消してしまったんですか?」

彼は一瞬ミュートにした。再びマイクをオンにして、深い息を吐きながら話した。

「これは俺の求めているものじゃない、と思ったんだ。みんなが褒めてくれたし、自分でもはじめてにしてはいいものができたと思ったけれど、まるで他人事のように感じていた。そのうち褒められるのが苦しくなって、消してしまった」

僕はできるだけ平坦な響きに聞こえるように言った。

「あなたが美しいと思うものは……こういった、破壊と混沌なんですね」

彼が頷く。そうして口元に手をやり、胸の高さに腕を伸ばす仕草を繰り返した。

「ここは俺の心象風景だ。俺にとって世界は真っ暗なところだったから、光に溢れた場所を公開し続けるのは自分にも他人にも嘘をついているようで嫌だった。このワールドは、自分のために作った。炎の街を再現するためにUnityも勉強しなおした。ほぼ自分の思い通りのものができて満足している。形にできて、よかった」

「僕一人に見せるのは、もったいないですよ」

彼が振り向く。少し遅れて、その表情が優しい微笑に変わる。

「そうかな。君だから見せたんだよ。君がふと口にしたコアなホラー映画の名前を俺も知っていた。君になら分かってもらえると思って、ここに呼んだんだ」

僕は笑った。そんな些細なことで他人に心を許してしまうなんて、なんて純粋な人だろう、と思った。

「あんなの、僕が知ってるくらいですよ? ここはVRChatです。あなたの性癖を理解する人は必ずいます。理解できなくても、ここに来て良いにしろ悪いにしろ心動かされる。それで十分じゃないですか」

はは、と彼が声を上げて笑った。きっと心からの笑い声だった。

「そうだな。まったくその通りだ」

彼の手が宙ぶらりんになる。リアルで煙草の火を灰皿に押し付けて消しているのだろう。喫煙者であることも隠さなくていいのに、と僕は思った。

「写真撮りましょう」

彼の動作が終わったのを確かめて、僕はカメラを取り出した。彼は自分を指す。

「俺の?」

「そうです。場所は……そうですね、ここに立って真っすぐこちらを向いてください」

彼が瓦礫の開けた場所に立ち、腕を広げる。そうして輝くような笑顔を夜空に向けた。僕もつられて笑顔になった。

「いいですね。舞いしきる灰が雪みたいです」

「君もなかなかだな」

絶望で塗りつぶされた街に軽快なシャッター音が響く。僕たちはその日、共犯者になった。

Vision

麻島葵主宰「にんぎょのくるぶし」による小説 本サイトの小説は条件付きで朗読可能です。 ○Skebでのボイスデータ依頼 ○配信、朗読会など金銭のやりとりの発生しない場での朗読 ×朗読したデータを販売する行為 ×有料配信、有料公演

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