Cry for the moon
noteより再掲
「触れるというのは汚すということです」
「泥が付いたり、菌が移ったりしてしまうからですか? 壊してしまうからとか?」
「そんなものです。昔、この惑星には月のほかに、もうひとつ衛星がありました。地上を金色に照らす美しい天体でした。人類は空を越えるロケットを作り、衛星に向かって飛び立ったのです。はじめは降り立つだけでしたが、人類は衛星に移り住み、都を作り、その環境を破壊してしまったのです。やがて衛星は真っ二つに割れて滅びました」
「それでこの惑星には、衛星は月一つだけになったのですね」
「そうです。もう今の人類には月に飛び立つ技術はありません。私たちは二度と月を汚さないでしょう」
「では、もうあの美しい天体には触れられないんですね。それは少し、寂しいです」
「寂しがる必要はありませんよ。私たちは、月を汚さずに触れる方法を持っています」
彼はバケツを手にして、井戸から水を汲み上げた。それを地面に置き、場所を調節する。やがて水面には銀色に輝く月が映った。
「ほら、これで月に触れます。空と土を汚すこともありません。触ってごらんなさい」
私は水に触れる。光が揺れる。白々とした影が、私の指の間で輝いている。それは冷たくて、清らかで、遠い光だった。
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