Avant le sucre
私は恋というものをしたことがない。
私に対して泣きながら「好きなんです」と訴える女の子を見下ろして、期待に応えられない罪悪感とひとをこれほどまでに恋うることができる彼女への憧れを感じ、同時に心地よい友愛から醒めていく自分を俯瞰していた。
あるときは私はテレビを見ていた。私の8畳の自室には21インチ型の薄型テレビが置かれており、普段は映画くらいしか見ないのだが、そのときはたまたま地上波の番組を流していた。出力元を切り替えるほどの気力もなかったのだと思う。
昼のワイドショーでは最近世間を賑わせている芸能人の不倫について特集していた。私より若い女性が妻子持ちの俳優と関係を結んだのだとレポーターが報じ、それについてさまざまなタレントがコメントをしていた。
私は不義に対する不快感よりも、良心と世間に反してでも好きな人を手に入れようとすることができる情熱へと、奇妙な興味深さを覚えていた。だからといって自分がそれを実行しようとは欠片も思わない。私にはひとを愛する資格はないのだ。前述の、この部屋で私に告白してきた女性の涙を思い出し、私はテレビの電源を切った。
かつて交際していた女性がいる。告白は彼女からだった。私はそれを、友愛の延長だと思って承諾した。当然、自然な男女の成り行きとして彼女は体の関係を求め、私もそれに応えた。彼女のことは嫌いではなかった。しかし嫌いではなかっただけなのだと今では思う。
彼女は私がほかの女性と友人として会うことを嫌がった。私にとって友人は家族の次に大切な存在だ。私は徐々に彼女との関係をしがらみに感じるようになり、しかし別れを切り出すこともできないでいるうちに、唐突に彼女から別れを告げられた。私にそれを断ることはできなかった。
彼女がその後まもなく、別の男性と付き合っていると知っても、怒りや失望の感情は湧いてこなかった。申し訳ないとは思った。しかし所詮はそこまでなのだ。私は最初からそれほどまでに彼女に興味はなかった。だから私には、ひとに愛される資格さえもない。
そして私は誰からの気持ちにも応えなくなった。異性との友愛が深まると最後には性愛に行きつくことに、疑問とかすかな懼れを覚えながら、しかしそれに対して何の行動も取らなかった。
あきらめていた。他人に期待しなくなっていた。それはほとんどの場合楽なことで、しかし根源的な部分で、さみしいことだった。傍らにいる人を孤独にさせる自らの在り方、それを自覚したのと同時に、私の交友は狭まっていった。
毎夜日付が変わる時間に帰宅する。台所のシンクには栄養ドリンクの瓶が並び、大好きだった映画を見ても何も感じなくなった。
そんな生活を続けているうちに、私は心を壊した。自分の体を自分のものではないように感じ、薬なしでは眠れない日々が続いていた。
きっかけはなんだったのだろう。思い出せない。
最後に見たのは床に転がる薬瓶。目が覚めれば、消毒液の匂いのする部屋で白い天井を見上げていた。
私は仕事を休んだ。自宅に帰っても、なにもしない日が続いた。本当は、なにもしないということができず、白いエディタの前で何時間もぼうっとしていた。一週間に一度会う医師には、休みなさい、と言われた。私は休んでいるつもりだった。なんの成果も出していないのだから。
なにかしたかった。なにか生み出したという実感がほしかった。しかし自分の中からはなにも出てこなかった。きっかけというものがつかめない。なにも降りてこない。なにも掘り出すことができない。昔はこんなではなかったはずなのに。
ひとりだけ、いまだに私の安否を気遣ってくれる友人がいた。定期的に連絡をくれる、昔は本の話をよくした友人。彼ならこういうときどうすればいいか知っているかもしれない。私は彼にメールをした。
散々文面に悩んで、私は彼に「10個ほど、私に何か質問をしてほしい」と送った。彼なら私の空虚になってしまった心からでもなにかを引き出すトリガーを授けてくれるかもしれないと思ったのだ。送ってから、変な頼みごとをしてしまった、と後悔した。しかし、作家の真似をしてメールで自由律俳句を送りあったことのある彼なら応えてくれるだろう、という信頼もあった。
1時間後返ってきた10の質問は、私の期待を上回るものだった。
文学について。富と名声について。死について。夢中になれるもの。なにがその人を規定するのかという哲学の話。心の正体。子供のころの夢。人生で最初の記憶。生まれ変わっても自分になりたいか。愛の定義。
なんて青臭い質問だろう。およそ世間の興味とはかけ離れた内容だ。
でも、最高だ。そうだ、それがほしかったのだ。私は自分が久しぶりに自分が笑っていることに気づいた。おそらく他人から見れば、唇をゆがめているようにしか見えないであろう微笑。しかし、私はたしかに、嬉しかった。
それから私は時間をかけて質問に答えていった。ペースは1か月に一度。意識したわけではない。質問に答えよう、と気力が湧くタイミングが来るのが、それくらいの間隔だったのだ。私のまとまりのない長文の回答に、彼はいつも丁寧に返事をくれた。そしてときどき、月がきれいだとか、最近面白かった本の話だとか、そんなものも聞かせてくれた。
私には彼とのメールが、色彩を失った日常で、心の支えになっていた。
1年近く過ぎたころ。最後の質問を返し終えた。珍しく、彼からの返信はなかった。私は不安になった。私が返事をしないときがあっても、彼は必ずメールをくれた。彼からすらも見捨てられたのだろうか、と私は落ち込み、冬のさなかということもあって数日布団から出られなくなった。
何度目かの夜、破れたカーテンに覗く夜空を見て、私は彼に期待していたのだと、悟った。
数日後、彼からのメールが来た。
返信が遅れたことを詫び、このやり取りが楽しかったと礼を述べる文章。最近私生活に変化があり忙しかったこと。私は安堵し、しばらくスマートフォンの画面を見つめたままでいた。
彼からの返信の最後には、こんな文があった。
「VRChatって知ってる?」
名前は知っていた。バーチャル空間で思い思いの姿をして花見をしている人々の姿を、新聞で見たことがあった。彼は今そこにいるのか。そこにいて、遠くにいる友人と話をしているのか。
小説について。スワンプマンについて。死と生について。愛するということについて。
ああそれは、とても面白そうだと、私は思った。
「名前だけ知ってる。興味あるな。どうはじめたらいい?」
未知の世界に浮き立つ私の指を、新年最初の朝日が、照らしていた。
0コメント